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第40話 久松五勇士 最強伝説

久松五勇士(ひさまつごゆうし)は、日露戦争時に行われた日本海海戦に先立ち、
バルチック艦隊発見の知らせを宮古島から石垣島に伝えた5人の漁師の呼び名である。

選ばれた5人は170km離れた石垣島を目指して「サバニ」という小さな小船で海に漕ぎ出した。


何が凄いかというと

・「サバニ」は湖にある2人乗りの貸しボートが少し大きくなった程度

・それを人力で漕ぐ

・真っ暗闇の海の上を、15時間漕ぎ続ける

・湖とか池とか波の無い所ならまだしも、波もある海流もある海。

・GPSなんて無い時代。目的地までの航路は漁師の経験に頼るのみ。

・宮古島到着後、山道を30km歩く

・これらを睡眠なし、休憩なしで決行した


<時系列はたぶんこんな感じ>
1905年5月23日(時刻不明)宮古島付近でバルチック艦隊発見、すぐ漁を中止して報告に向かう
         ↓               
1905年5月26日(午前8時)宮古島の役場に駆け込む
         ↓
         ↓島の重役を含む長老会議の結果「石垣島にこの情報を知らせる」ことを決定し
         ↓漁師5人を選抜。
         ↓
1905年5月26日(午前9時)石垣島に向けて出発
         ↓
         ↓人力で170kmの距離を必死で漕ぎ続ける
         ↓
1905年5月26日(午後11時)石垣島東海岸 到着
         ↓
         ↓真夜中の山道を30kmも歩く
         ↓
1905年5月27日(午前4時)八重山郵便局 到着
         ↓
1905年5月27日(午前7時)八重山郵便局より電信


こうしてバルチック艦隊発見の知らせは
沖縄本島の那覇郵便局本局、沖縄県庁を経由して遥か1500km離れた
東京の大本営に伝えられた

実際には信濃丸による発見の知らせが数時間早かったため
直接この情報が役に立つことは無かった


時系列や距離には色んな説があるけど、重要なのは国家の一大事に決死の覚悟で5人の勇士が
海を渡り山を越えて情報を伝えたってことだと思う。


※当時の日本海軍はロシアのバルチック艦隊の発見に全力を注いでいたが、なかなか実を結ばなかった。
 簡単に言うと、発見できなかった場合日本はヤバイというか終わりだった。日本はロシアに占領されて一巻の終わり。


170kmを各県の県庁所在地間の直線距離に置き換えると
山形←(176.2km)→岩手
山梨←(167.3km)→富山
富山←(170.3km)→愛知
※(参照)国土地理院 都道府県長官の距離
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岩波クォリティー

日本政府は1880年、宮古・八重島の二島を中国領とするかわりに、日清修好条約を改定して日本に最恵国待遇(中国内地の通称権)をあたえるという「分島・改約」案を提示、(中略)清国政府も、この案を受けれた。琉球の抵抗派は(中略)反発し、北京で講義の自決する者まであらわれた。
民権と憲法―シリーズ日本近現代史〈2〉
牧原 憲夫 岩波新書 107~108p 

(中略)のところは受け入れや反発の理由
引用終わり 

久松五勇士の25年前の出来事、さすがに国(琉球)を一個潰すだけあって数は少ないけど、ごだごだは日清戦争まであったみたい。

Re: 岩波クォリティー

kzaukzaufuさん

コメントありがとうございます!!
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